山口県長門市の油谷にある聖域、「猿神森(サルガミノモリ)」を探しにゆこう!【其の壱】河原浦と鎮守様のこと。
『防長地下上申』に記された「猿神森」
防長両国諸郡の各村落から萩藩府の絵図方頭人である井上武兵衛宛に提出された「地下図」「明細絵図」などの村勢概要、いわゆる村明細書を編纂した一連の文書群『防長地下上申(ぼうちょうぢげじょうしん)』の中の「大津郡河原村諸事由来覚書」によれば、大津郡河原村の「河原浦」という場所には「猿神森(サルガミノモリ)」という森があり、その森はかつて殺されて祟りをなした猿を神として崇め奉った場所だとの記述が残されている。
森数之事
一河内森 西坂根ニ有
一河内森 東坂根ニ有
一大歳森 石原ニ有
一貴布祢森 同所ニ有
一水神森 せうふニ有
一猿神森 河原浦ニ有
右森之内、猿神森と申ハ外ニ由緒等も無御座候、先年猿をころし申候故、只様たゝり有之候故、猿神ニいわひ申之由申伝候、其外貴布祢森・水神森・大歳森・河内森と計申伝、由緒無御座候事
この猿神森とはどのようなものかを考察し、これは「孕み猿の祟」と呼ばれる類に属するものではないのかと考えるに至る。
※詳細に関しては以下の記事を御覧いただきたい。
猿神森を探しにゆこう!
というわけで、この猿神森は本当に存在するのかを確かめるために、探しにゆくことにした。場所としては、「長門國大津郡河原村」の河原浦とあるので、ずいぶんとエリアは限定されている。現在でいうところの、山口県長門市油谷河原の河原浦という場所であろうと推測してみる。
河原浦エリアにある大きな森らしき場所
さて、Google Mapsを見ていただくだけでもわかるのだが、この河原浦エリアに、完全に「ここだろ!」と思しき大きな森のような場所が存在する。
ひとまずはこの場所を候補として目標に設定し、歩き出すことにする。
そして、このこんもりとした小さな山のような森の存在を遠目で確認できる場所までやってきた。確かに森と言って然るべき規模の木々が生い茂った小さな山のようになっている。
ここが果たして猿神森なのだろうか?ということで、さらにこの場所に向けて歩を進めることとなる。
かつての港だった河原浦
ちなみにこの河原浦には、「浦」・「浦ノ前」・「浦ノ上」・「浦ノ下」・「船屋」などという地名が残っており、かつては港であったようである。この道中、油谷総合運動公園に群れていた地元の古老たちによれば、「この運動場も、ここもさ、昔は海だった場所を埋め立てたんだ!」と言っていた。
河原浦にあった塩田
また「塩屋ノ本」という地名も残っており、この近辺には江戸初期頃から塩田があったそうだが、明治四十四年(1911年)の第一次塩田整理により廃止されたということである。この第一次塩田整理の概要は、塩専売制が実施されたことにより、過剰な塩生産に対応して零細な塩田や農業や漁業の合間に製塩業を行っている塩田を整理することを目的に行われたとのことで、まあようは、全国にある不良塩田を整理したというもの。その詳細は、『製鹽地整理事蹟報告』という当時の書類に記述されているので、興味のある塩愛好家の方は読んでみることをおすすめする。
「禁止シタル製塩地」として、山口県大津郡菱海村の塩田の場所が記されている。
河原浦にある岩礁の名残
そしてさらに、猿神森らしき場所に向けて歩を進めてゆくと、人家の自家菜園らしき場所に、ゴツゴツとした特徴的な岩が突き出ている光景を目にすることとなる。これはもしや『防長地下上申』に記されている「笠岩」ではないだろうか。
一笠岩 河原浦ニ有
但此岩笠なりたる岩故、笠岩と申伝候事
この岩にかつては船をつないでいたとの伝承が残る岩で、ここが港であったことを忍ばせる貴重な景観である。
笠岩はここにあるよ。
猿神森は、やはり存在した
笠岩を通り過ぎて目的の場所付近に到着すると、前方からひとりの古老が日課の散歩のような形でゆっくりとこちらに歩いてくるのがわかった。フィールドワークの重要なポイントとして、やはり地元の古老に話を聞かなければなるまいと思い、挨拶がてらその古老に森のことについて尋ねてみることにする。いつもであれば直接的に、
「猿神森というものを探しているのですが、ご存知ですか?」
と尋ねるところなのだが、今回はおおよそのあたりを付けていたので、別な聞き方にしてみることした。
「こんにちは、あのですね、あそこのこんもりと木が茂った山のような森のような場所なんですが、あそこにはなにか名前が付いていたりするものでしょうか?」
すると、先程まで少しぼんやりとした雰囲気だった古老の目がキラッと光ったような気がして、こんなことを口に出した。
「はい、名前があります、サルガミノモリといって、古くからの聖域です。」
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
その瞬間、なんとか平静を装ってはいたが、内心では大興奮で叫びそうになった。しかし、ぐっと堪えて古老の話に耳を傾けた。
「猿神様を祀った森でして、ほら、あの一番上のところに小屋みたいなものがあるでしょ。」
古老の指差す方向に目を向けると、確かに森の一番高いところに小さな小屋のようなものが存在していた。
ぼく「祠か社のようなものですか?」
古老「いや、社じゃないんだけれど、毎年11月3日にね、あそこの河原八幡から宮司が来て、この猿神森で儀式をするわけですよ、その時にあそこを使うんです。それでね、この猿神森は、私の所有する土地なんです。」
ぼく「えっ!そうなんですか!?」
古老「はい、登記上はね、私の土地なんです。でもね、聖域なもので、売ったりは出来ないんです。つまり私が所有しているんだけれど、同時に私のものではないんです、聖域ですから。」
ぼく「あの場所まで行けますか?」
古老「はい、二通り道があるけれど、じゃあこっちから行ってみましょうか、私も途中まで行くつもりだったから。」
そう言って、古老はぼくを案内してくれた。
古老「毎年11月3日に、ここに宮司が来ていろいろやるわけだけれど、この地域の三つの家は“地蔵”を持っていてね、同じ日にその家々の地蔵をまわって儀式をして、そのあと宴会をするわけですよ、魚なんかもってきて、酒を用意して、料理を食べてね。盛大にやるわけです。まあ農家の収穫後の祭りってこともあってね、11月の3日に、毎年やるわけです。いまではそんなに盛大にはやらないけれど。」
ぼく「秋祭りみたいなものですか?」
古老「そうそう、秋祭りね。それじゃあ、地蔵も見に行きましょう。まあ地蔵というか、この辺りでは鎮守様(チンジュサマ)と言うけれど、それが三つの家にあります。私の名前は・・・、」
古老は名前を名乗ったが、ここでは仮名として「モリーアーティ」としておこう。
鎮守様(チンジュサマ)というもの
鎮守様というものに関して、岡山県では椋の木の下に「キノネ様」といわれる小祠を祀っているものが見られるようで、これを鎮守様、マツリデン、イワイデンと呼ぶ家もあるそうだが、いわゆる鎮守神のようなものであろうか。
モリアーティ「あれは私の家のものではないけれど、あれが鎮守様です。」
モリアーティ氏はそう言って、一軒の民家の庭にある鎮守様に案内してくれた。
モリアーティ「では、私の家のものも、見に行きましょう。」
そう言ってモリアーティ氏は、猿神森に足を踏み入れ始めた。モリアーティ氏の鎮守様は自宅ではなく、どうやら猿神森の中にあるようだった。
というわけで、次回へと続く。