狒々門の奥の入江のむじな島にて。

大猿の如きものを連れた天人らしきものを見たあの日から、ぼくはずっとここにいます。

山口県長門市の油谷にある聖域、「猿神森(サルガミノモリ)」を探しにゆこう!【其の弐】そして伝説へ。

猿神森の奥へ

『防長地下上申』の「大津郡河原村諸事由来覚書」に記された「猿神森」を探し求めて、河原浦というエリアでフィールドワークを開始したぼくの前に突然現れた古老モリアーティ(仮名)氏。そしてなんと彼は、偶然かあるいは必然かわからないが、猿神森を有する土地の所有者であった。

 

そしてぼくは、モリアーティ氏に誘われて、猿神森へと足を踏み入れることになった。

 

ここまでが、前回のお話である。

 

※前回の詳細に関しては以下を御覧いただきたい。

 

モリアーティ「ここからずっと上に登ってゆけます。そしてこの先に、私の家の鎮守様があるのです。」

 

そう言いながら、モリアーティ氏は緩やかな坂道を森の奥へと進んでゆく。

 

猿神森の奥へと進むモリアーティ氏

猿神森の奥へと進むモリアーティ氏

 

猿神森にある鎮守様

しばらく進んだ先で立ち止まったモリアーティ氏は、本道の脇を指さしてこう言った。「あれが、私の家のものです。鎮守様です。」そちらに目を向けると、先程のものに比べるとずいぶん新しい時代のものだと思われる小さな祠が佇んでいる。

 

猿神森にある鎮守様

猿神森にある鎮守様

 

モリアーティ氏に「どうぞ奥へ行って見てみてください。」と言われたぼくは、鎮守様に近付いてその子細に目を向ける。祠自体は、前述のように先程見た鎮守様よりかなり新しく、側面には確か「昭和五十四年」という文字が刻まれていたと記憶している。実はその側面も撮影してきたのだが、後日写真を確認した所、文字の判別が難しい状態だったので、その写真自体の掲載は控えておこう。

 

猿神森にある鎮守様

猿神森にある鎮守様

 

鎮守様の小祠の横には、後に新しく建てられた祠よりも古い時代のものだと思しき小さな石塔の一部のようなものが倒れかかっていた。ちなみに、祠に記された年代が「昭和五十四年」だとわりとはっきり記憶していた理由は、モリアーティ氏に「脇に年が書かれているでしょう、何年ですか?」と聞かれて、「昭和五十四年と書かれていますね。」と答えたからである。

 

余談だが、モリアーティ氏はこの地域の古老にしては、とても上品で流暢な標準語を話す方だったことが、後から少し気になった。

 

猿神森のさらに奥へ

この後、モリアーティ氏は、「この先にゆくと、先程の小屋がありますので、行ってみてください。では、私はここで、戻りますので、失礼します。」と言って、ゆっくりと坂を下っていった。

 

というわけで、ぼくはさらに猿神森の奥へ、あの小屋の場所を目指して歩を進める。しばらく進むと、程なくして小高い丘の頂上のような開けた場所が目に入ってくる。

 

猿神の森の道程

猿神の森の道程

 

そしてついに、小屋のある場所にたどり着く。

 

猿神森にある儀式用の小屋

猿神森にある儀式用だという小屋

 

一応、細身の注連縄が巻かれた社のような趣を持つ建物ではあるが、モリアーティ氏が言っていたように、どうやら社でも祠でもないようである。入り口の両脇に置かれている木札は、なにか御神札のようなものかと思ったのだが、期待に反して「頭上注意(落石)」という単なる警告板であった。

 

頭上注意(落石)

頭上注意(落石)

 

ただ、小屋の周囲に落石が起きるような崖などはなく、一体どこから落石が襲ってくるのかは不明、屋根が崩れていてその一部でも落ちてくるのか、あるいはもしかしたら猿神森の祟的な石礫のようなものでも飛んでくるのだろうか・・・。ちなみに小屋には鍵がかかっており、鍵がかけられているのは当然といえば当然だが、中がいったいどのような状態になっているのかは、残念ながら確認することが出来なかった。

 

もし可能なら、次回の儀式の際に、この場所でどんなことが行われるのかをこの目で確かめてみたいと思っいるので、再びモリアーティ氏に会いに行かなければなるまい。

 

 猿神森の最深部はどうなっているのか?

さて、今回のフィールドワークは、ぼくの個人的な時間の関係上、一旦ここでお開きとなるのだが、この小屋の更に奥に森は続いていて、ただ、民家や山陰本線の線路で分断されている。地図を見てもらえばわかると思うが、ぼくは今ここにいるのである。

 

線路で分断された先には、広大な森が広がっているのだ。

 

 

そして、この分断された奥の森に、なにやらいくつかの石塔らしきものの影を目に捉えたぼくは、この更に奥こそが、本格的な猿神森の聖域エリアなのではないのかと考えている。そのため再びの猿神森フィールドワークに臨み、その全貌を解き明かさなければならないことは言うまでもない。

 

いずれにせよ、当初の目的は達成されたが、更に謎は深まってゆくことになった。

 

ラヴクラフト的世界観における河原浦の猿神森伝承

最後になるが、この猿神森の祟りに関する話に関して、モリアーティ氏は一切そのことについては触れていなかった。ただもちろん、ぼくのこれまでのフィールドワーク経験からして、負の要素を孕んだ伝承や言い伝え、例えば「祟り」などというものを、基本的には地元の古老たちは口にしたがらないのである。そのため、この猿神森の由来たる祟りの詳細については、独自に考察してゆかねばならないと感じているが、先の考察での結論としてある「孕み猿の祟」、本筋としてはこの方向性であっていると思う。ただし、モリアーティ氏に出会ったことで、少しだけ付加要素が浮かんできた。

 

猿神森の所有者たるモリアーティ氏に出会った時の第一印象として、失礼ながら彼の顔がなぜか猿に似ているような気がしたのだ・・・。

 

「孕み猿の祟」の伝承として、猿に似た子供が生まれてくるという現象・・・、そして、さらにはここからぼくの仮説はグイグイと広がり、かのハワード・フィリップス・ラヴクラフト(Howard Phillips Lovecraft)による『故アーサー・ジャーミンとその家系に関する事実(Facts Concerning the Late Arthur Jermyn and His Family)』的な、なにか暗く奥深いものが、この猿神森の根底には潜んでいるのではないであろうか、との考えに至った。

 

あるいは、この河原浦エリアの多くの人々の顔が、もし猿に似ていたとしたら、また少し方向性は変わるが、『インスマウスの影(The Shadow Over Innsmouth)』的なことにも・・・。

 

妄想は尽きない。

 

そして今後のフィールドワークにおいて、猿神森の最深部で、その何かを目にすることになるかもしれない。

 

猿神森で撮影された古い写真

猿神森で撮影された古い写真

 

ということで、この猿神森におけるフィールドワークは、継続!ということで、次回の報告を待たれよ!