狒々門の奥の入江のむじな島にて。

大猿の如きものを連れた天人らしきものを見たあの日から、ぼくはずっとここにいます。

陰謀的に消去される妹の名前と運転技術、それは初歩的なことだよ、ワトソンくん日記。

今朝、目が覚める前に、つまり朝起きる前までに、長い夢をみていた。
 

眠っている間に見る夢のほとんどは、基本的にはその内容をすっかり忘れてしまう。いや、すっかり忘れてしまうことのない場合もあるけれど。ほぼ完全に覚えていることもあれば、半分くらい覚えていること、ほんの少しだけ覚えていること、まったく覚えていないこともある、そんな風だ。

 

ただし、目が覚めた瞬間は、おおよそほとんどの内容を覚えているんだけれど、目覚めて、トイレに行って、歯を磨いて、いろいろ動いてさ、その諸々のうちに夢の記憶は、圧倒的な速さで、ザッ!ザッ!ザッ!っとでも音をたてるかのごとく、消え去ってしまうことが甚だ多い。

 

それはある意味では、陰謀的な趣を孕んではいるのだが・・・、それでもぼくは、眠っている間にみた事柄を、比較的覚えているタイプなのかもしれない。

 

そんでもって、きょうの夢だが、いまこの日記を書いている時点で覚えている範囲では、妹が出てきた。

 

妹とは、もう六年くらい会っていないし、ぼくは大学の頃から家を出てしまっているので、ずいぶん長い間、妹とまともに会話をした記憶がない。そもそも、家を出る前にも、まともな会話なんか交わしていなかったのかもしれない。

 

ぼくの家は、今にしてきちんと考えれば、ある側面においてはとんでもなくひどい環境の家庭でさ、まあそれは話すと長くなるから、いずれまた。

 

それで、夢に妹が出てきて、どんなシチュエーションかは忘れてしまったが、妹の名前を紙に書かなければならない場面になった。

 

くり返し言うと、妹とはもう六年くらい会っていないのだけれど、名前くらいはもちろん忘れることはないので、ボールペンだかなんだかで、紙切れに妹の名前を書いたのだが、

 

「お兄ちゃん、違う、違うよっ!」

 

と、書いた名前を指摘され、少しだけドキッとする。

 

もしや漢字が間違っていたのか・・・と思い、わけもわからずあれこれと言い訳をするのだが、改めて自分が書いた妹の名前を見ても、間違っている気はしない。

 

「漢字が間違ってたかな・・・?」

 

妹は、首を横にふる。

 

「わたし、名前を変えたんだよ。」

 

「えっ・・・」

 

変えた名前もその漢字も夢の中で教えてもらった。そしてそれを、今日目覚めたばかりの頃までは覚えていた。そのことを文章に書こうとして、いまここで書いているのだが、その改名した名前の記憶が一切なくなっている。

 

シュンっ!って消えるのだ、夢の記憶って、ほんとシュンって消える。

 

妹は、現実世界では結婚しているので苗字は変わった。けれどもちろん、ぼくの知る限りで名前は変わっていないはずだ。でも夢の中の妹は、名前も変わってしまったんだなあと、ぼんやり思った。なぜ、夢の中の妹は、名前を変えたんだろうか?

 

閑話休題、日記と“お題”を書こう。

 

昨日は、久しぶりに買い物にでかけた。ぼくはいますごく僻地的な田舎に住んでいて、近所に小さな商店的なものは一軒あるのだけれど、ほとんど何も売っていないし、やけに値段が高いので、あまり利用することはない。

 

近隣の人の多くが車で街まで出かけて買い物をしている。

 

ぼくは車を持っていない。一応運転免許証は持っているけれど、東京での生活が長かったため、免許を取得してからほぼ一切運転をしなかったから、もうまともに運転が出来なくなっている。俗に言うペーパードライバーである。変な和製英語で、弱いスーパーヒーローみたいな名前だけれど、この亜種で二輪車版のペーパーライダーとか、さらにはサンデードライバーなんてのもあるらしい、そんな言葉、日常生活ではこれまで一切聞いたことがないけれどさ。

 

「ぼく、ペーパードライバーなんですよ。」って言うのを略して、「ぼく、ペーパーなんで。」って言う人がいるけれど、それって「I'm paper.」ってことじゃんと、それを聞く度にぼくは心の中で叫んでいる。「私は紙です。」そう改めて日本語で書いてみると、なんだか詩的な言葉だなあ。

 

ペーパーと聞くと林家ペー&パー子も頭に浮かぶが、まあどうでもいいか。

 

林家ペー、パー子の爆笑芸能写真館

林家ペー、パー子の爆笑芸能写真館

 

 

そんなことがありつつ、この地に引っ越してきてから必要にかられて、というか半ば無理矢理に配達と称した運転をさせられた時期があって、「マジか・・・、運転なんか出来ねえよ・・・」って思いながら、その時期を過ごした。だって最初は、冗談抜きでどっちがブレーキでどっちがアクセルかも、よくわからなくなっていたのだから。しかも初っ端で往復100キロ以上の道のりだった。途中には高速道路的な箇所もあった。もちろんぼくは高速道路なんか車で走ったことがない(車以外のものでも走ったことはないけれど)。教習所での高速道路教習は、なぜかその時だけに限って、シミュレーター教習だったからさ・・・。

 

その日から二週間くらいかな、したくもない運転をさせられて、まあ無事故だったからよかったけれど、精神的にはかなり疲弊していたと思う。

 

そして現在、車のないぼくは街まで歩いて買い物にゆく。だいたい片道が15キロくらいだと思う。つまりぼくの買い物は、徒歩で往復30キロ、自分のフルパワーで歩いても、移動だけで四時間くらいはかかるし、あまり気軽に行けるものでもない。加えて、それは一番近いスーパーなんだけれど、そこも大していろんなものを売っていないのだ・・・。もうちょっとまともなスーパーに行こうと思ったら、距離としては家から30キロくらいある。

 

30キロ・・・、いまのところ、流石に往復60キロの買い物に出かける勇気が持てなくて決行していないのだが、いつか行ってみたいなという野望は抱いている。

 

おうち時間の話を書かなきゃだった。まあ夢はおうち時間だとして、買い物はおうち時間じゃなかったから・・・、えっと。

 

きょうもそうなんだけれど、最近おうちでは海外のテレビドラマばかり観ている。

 

今観ているのは、『エレメンタリー ホームズ&ワトソン in NY』(Elementary)、邦題がやけに説明的になっていることが個人的にはかなり気に食わないが、ドラマとしては結構好きで、いまシーズン4まで観終えた。

 

 

だいたいぼくは、この作品をお酒を飲みながら観ている。この『エレメンタリー』に関しては、別途詳細な記事を書こうと思っているので、今回は触れないよ。

 

 

ぼくは幼い頃からシャーロック・ホームズが好きで、しかも中学生のある時期まで、ホームズは実在の人物だと思っていた。そのことが原因で、中学の時に後ろの席にいたモリタ(仮名)と激しい言い合いの喧嘩になったことがあった。

 

ぼくは「ホームズは実在の人物だろ!」と言い張り、モリタは「架空の人物だよ、お前バカか。」という攻防が繰り返され、その戦いは担任だった国語教師にゆだねられ、

 

シャーロック・ホームズはね、架空の人物ですよ。」

 

という引導を渡され、そのショックでぼくはその日から薬物に手を出すようになってしまい、今に至る。(嘘)

 

 

クソジャンクなワインをガブガブ飲んで、レタスと安い生ハムのサラダを頬張りながら『エレメンタリー』を観て、一話観終わるごとに、ぼくは必ずあの中学生だった日のシャーロック・ホームズ・デイを思い出すのだよ、ワトソンくん。

 

そんなわけで、おうち時間2021におけるぼくは、ほぼ『エレメンタリー』と言っても過言ではない。まあこの作品の部分は観終わるごとに変化してゆくので、ここ数ヶ月は『エレメンタリー』だけれど、季節が移ろうように、いずれこれも変わってゆくであろうことよ。

 

今週のお題「おうち時間2021」